東洋英和女学院大学 GUIDEBOOK 2025
6/70

本学院はカナダ・メソジスト教会から派遣されたミス・カートメルにより創設されました。神を敬い人に尽くす「敬神奉仕」の精神は今へと受け継がれ、聖書を土台とした人間形成・人格形成を重んじる教育を実践しています。村岡 花子(1893~1968)初代校長マーサJ.カートメル(1845-1945)創立初期を支えた校長イザベラ S. ブラックモア(1863-1942)1882(明治15)年にカナダ・メソジスト教会婦人ミッション 初の日本派遣婦人宣教師として来日。驚くべき行動力で本国カナダの教会に働きかけ、来日2年目にして東洋英和女学校を創立しました。篤い信仰と教育への信念、奉仕の精神によって献身的に働き、築き上げた教育基盤は、「英和らしさ」として現在へ継承されています。『赤毛のアン』の翻訳者として知られる村岡花子は、東洋英和初期の卒業生です。在学中に佐佐木信綱門下に入り、そこで出会った同窓の片山廣子から文学的にも精神的にも多大な影響を受けました。戦後は政府の各委員や文化団体の役職を歴任。童話集『たんぽぽの目』を執筆したほか、モンゴメリの『赤毛のアン』シリーズの翻訳など、数多くの作品を世に送り出しています。六本木校地の村岡花子文庫展示コーナー『赤毛のアン』翻訳の直筆原稿1890(明治23)年から、30年あまりの間、東洋英和女学校の校長を4度も務めたブラックモアは、「厳しい中に真の自由がある」を教育理念とする、厳しさの中にも愛と優しさを秘めた女性でした。女学校の体制を整備・形成し、東京女子大学の理事長にも着任。また永坂孤女院や興望館の事業に携わり、社会事業の拡充、実践にも尽力しました。『赤毛のアン』初版本モンゴメリ著/ 村岡花子訳1952(昭和27)年三笠書房刊『クリスマス・キャロル』ディケンズ著/村岡花子訳新潮文庫刊『ハックルベリイ・フィンの冒険』マーク・トウェイン著/村岡花子訳新潮文庫刊『フランダースの犬』ウィーダ著/村岡花子訳新潮文庫刊PICK UP!TOYO EIWA UNIVERSITY東洋英和の卒業生『赤毛のアン』の翻訳者 村岡 花子 まず私から始めましょう誰かのために、05For someone’s sake, let me begin first140年を経て今も息づくEIWAの精神EIWA SPIRIT

元のページ  ../index.html#6

このブックを見る