専修大学 2024 入学ガイド
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HISTORY18801885現在の神田校地に移転1887経済学および法律学の通信教育を開始1888五大法律学校による連合討論会始まる1889政治科を設置(明治24年2月廃止)18901903専門学校令による専修学校の設立認可1906大学部・専門部・高等専攻部・高等予科を設置1911創立30周年記念講堂完成1913校名を私立専修大学と改称、初代学長に相馬永胤就任1919校名を専修大学と改称1922大学令による「専修大学」(旧制)への昇格1923経済学部設置1926校歌、応援歌制定1927法学部設置1931五大学野球連盟(東都大学野球連盟の前身)第1回リーグ戦で優勝1933体育会発足※ 学部の記載順は、学則に基づく。付設研究機関・センター等専修大学学部大学院専門職大学院【法務研究科(法科大学院)】法務専攻(専門職学位課程)石巻専修大学学部大学院付属高等学校7788【経済学部】現代経済学科/生活環境経済学科/国際経済学科【法学部】法律学科/政治学科【経営学部】経営学科/ビジネスデザイン学科【商学部】マーケティング学科/会計学科【文学部】日本文学文化学科/英語英米文学科/哲学科/歴史学科/環境地理学科/ジャーナリズム学科【ネットワーク情報学部】ネットワーク情報学科【人間科学部】心理学科/社会学科【国際コミュニケーション学部】日本語学科/異文化コミュニケーション学科【経済学研究科】経済学専攻(修士・博士後期)【法学研究科】法学専攻(修士)民事法学専攻(博士後期)公法学専攻(博士後期)【文学研究科】日本語日本文学専攻(修士・博士後期)英語英米文学専攻(修士・博士後期)哲学専攻(修士・博士後期)歴史学専攻(修士・博士後期)地理学専攻(修士・博士後期)社会学専攻(修士・博士後期)心理学専攻(修士・博士後期)【経営学研究科】経営学専攻(修士・博士後期)【商学研究科】商学専攻(修士・博士後期)会計学専攻(修士・博士後期)【理工学部】生物科学科機械工学科情報電子工学科【理工学研究科】物質工学専攻(修士) 生命科学専攻(修士) 生命環境科学専攻(博士後期)物質機能工学専攻(博士後期)【経営学研究科】経営学専攻(修士・博士後期)社会知性開発研究センター社会科学研究所会計学研究所今村法律研究室経営研究所商学研究所人文科学研究所法学研究所スポーツ研究所専修大学北上高等学校(岩手県北上市)専修大学松戸中学校・高等学校(千葉県松戸市)専修大学附属高等学校(東京都杉並区)専修大学熊本玉名高等学校(熊本県玉名市)【経営学部】経営学科情報マネジメント学科【人間学部】人間文化学科人間教育学科情報科学研究所自然科学研究所情報科学センター国際交流センター外国語教育研究室心理教育相談室○校友会○育友会『男爵山川先生伝』より転載夜間2年制の専修学校創立、経済科・法律科を置く専修学校創立。仮校舎からのスタート帰国後、志を同じくする仲間とともに4人は創立準備を着々と進め、1880年(明治13年)9月、「専修学校」が誕生しました。予定していた校舎の改修が遅れ、仮校舎からの出発でしたが、51名の学生を迎え盛大な開校式が行われました。法律と経済を日本語で学べる学校アメリカで近代国家の基盤となる市民社会の大切さを目のあたりにした彼らは、日本にも法律と経済を学ぶ場が必要だと痛感。法律や経済は外国語で講義するのが当たり前だった当時、日本語で学べる学校の誕生はまさに画期的でした。「赤門」の東大、「黒門」の専修入学者が急増し、1885年(明治18年)、専修学校は現在の神田キャンパスに移転します。校門が黒塗りだったことから、東京帝国大学(現・東京大学)の赤門に対して、専修学校は「黒門(くろもん)」と並び称されるようになりました。東京に五大法律学校あり専修学校をはじめ東京法学社(現・法政大学)、明治法律学校(現・明治大学)、東京専門学校(現・早稲田大学)、英吉利法律学校(現・中央大学)は「五大法律学校」と呼ばれ、連合討論会など活発な交流をはかっていました。勝海舟から激励の書がとどく創立者のひとり、目賀田は勝海舟の三女逸子と結婚。その縁で1890年(明治23年)の卒業式に勝海舟は自筆の「律増甲乙之科以正澆俗礼崇升降之制以極頽風」という書を贈り、卒業生を激励しています。世の中には法律と道徳の両輪が必要であるとし、法学生の使命の大きさを説いたこの書は、今も本学で大切に保管されています。大学昇格、震災からの復興大学令が公布され、1922年(大正11年)に大学(旧制)へと昇格しました。しかし、その喜びもつかの間、翌年の関東大震災で、専修大学はすべての校舎、施設を失いました。救いは夏休み中で学生の被害がなかったこと。学生と校友の協力により、復興は急ピッチで進められ、1928年(昭和3年)には鉄筋コンクリートの神田キャンパス旧1号館も完成しています。左写真/『復刻版 大正十二年関東大地震震害調査報告』第三巻より転載『風俗画報増刊 東京名所図会 神田区之部上巻』第一九三号より転載1939第20回箱根駅伝で初優勝1949「学校教育法」による新制大学に移行、商経学部・法学部設置/生田キャンパス授業開始1962経営学部設置、文系学部として初めてコンピュータ導入1963松崎キミ代、世界卓球選手権で3冠達成/商経学部を経済学部と改称1965商学部設置1966文学部設置1973神田に高層型の1号館竣工1979創立100年記念式典挙行1989石巻専修大学開学1994堀井学、リレハンメル冬季オリンピックで銅メダルを獲得。本学現役学生では初1996経済学部国際経済学科、文学部心理学科増設1999創立120年を祝う会開催2001ネットワーク情報学部設置2003大学院社会知性開発研究センター設立(2006年に社会知性開発研究センターと改称)2004大学院法務研究科(法科大学院)設置2005キャリアデザインセンター設立2006法学部政治学科増設2007生田10号館(130年記念館)竣工/黒田博樹、本学出身者として初のメジャーリーガーに2009サテライトキャンパスが向ヶ丘遊園駅前にオープン/生田11号館竣工2010人間科学部設置2012法学部の全授業を神田キャンパスで開講2014神田5号館竣工2017生田2・3号館竣工2019経営学部ビジネスデザイン学科増設2020国際コミュニケーション学部設置/商学部が神田キャンパスへ移転2022現役学生の森重航、北京冬季オリンピックで銅メダルを獲得文学部を日本語学科(2020年に国際コミュニケーション学部に再編)、日本文学文化学科、英語英米文学科、哲学科、歴史学科、環境地理学科、人文・ジャーナリズム学科の7学科体制に再編文学部人文・ジャーナリズム学科をジャーナリズム学科に改組/神田9号館竣工経済学部を現代経済学科、生活環境経済学科、国際経済学科の3学科体制に再編神田10号館(140年記念館)竣工生田キャンパス、開設敗戦の混乱の中、学生の心の支えとなったのは戦火を免れた校舎の姿でした。キャンパスの雰囲気は明るく、再び学ぶ機会を得た学生たちが続々と復学し、自主的に復興に取り組んでいきました。1947年(昭和22年)には学校教育法が制定され、本学の新制大学への移行も決まります。専修大学は1949年(昭和24年)、生田の地に新制大学に求められる基準を満たした新キャンパスを開設し、新しい時代の教育に向け、大きな一歩を進めました。創立100年記念事業として神田に高層キャンパス登場1973年(昭和48年)10月、地上15階建て高さ61mの高層校舎が神田の街に誕生しました。1979年(昭和54年)の創立100年に向けた記念事業の中でも、ひときわ目を引く大事業で、当時としては日本一の高層を誇ったキャンパスでした。今でこそ、高層タワー型の校舎は少なくありませんが、その先駆けとなったのは専修大学でした。創立130年宣言2007年(平成19年)、創立130年記念事業の一環として生田10号館が竣工され、2009年(平成21年)9月16日に創立130年を迎えました。当日は専修大学発祥の地から神田キャンパスまでのパレードと日髙義博理事長・学長(現・総長)による「創立130年宣言」が行われました。創立140周年を迎える2020年(令和2年)9月に創立140周年を迎え、神田キャンパスに16階建ての10号館が誕生。国際コミュニケーション学部の新設、商学部の神田キャンパスへの移転により都心のキャンパスでの学びがこれまで以上に充実しました。また、生田キャンパスでも、経営学部、文学部に続き、経済学部の再編が行われるなど、専修大学の改革は続きます。 専修大学の歴史は、1880年(明治13年)に遡ります。あらゆる分野において、新時代を担う人材が求められた時代。4人の創立者は、留学で得た最新の知見を社会に還元し、専門教育によって日本の屋台骨を支える人を、ひとりでも多く育てようと誓いました。これが建学の精神「社会に対する報恩奉仕」です。そんな先人の熱く高い志は、現代まで脈々と受け継がれています。激動の明治と同じく、前例のない未来を築かなければならない今、「社会知性」を備えた卒業生たちが、社会を支えています。Komai Shigetada田尻稲次郎Tajiri Inajiro4人の創立者たち相馬永胤Soma Nagatane目賀田種太郎駒井重格Megata Tanetaro留学先で生まれた学校設立計画明治のはじめ、母国日本の発展のためアメリカへ留学した4人の青年。戊辰戦争を経験し、今の大学生とさほど変わらぬ歳に海を渡った彼らは、運命のように留学先で出会いました。「日本法律会社」が組織され、週に1度、法律の研究会や討論会を開く中、相馬、目賀田をはじめニューヨーク近郊で学ぶ留学生たちの親交はますます深まっていきました。こうした仲間との活動から、東京に法律学校を興し、自分たちが得た知識を日本の青年に伝えるという夢が芽生えます。帰国後、経済科と法律科からなる「専修学校」を創立。日本で初めて経済学と法律学を共に学べる高等教育機関でした。社会に貢献する。専修大学の伝統は創立者たちの志から始まった。

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