安土・桃山時代からの歴史と平和を願う精神が、時代を超えて受け継がれています。1924[大正13]年 大学令により立正大学設立。文学部・予科・研究科設置。1580[天正8]年 日蓮宗の教育機関として下総国飯高郷に飯高檀林(千葉県匝瑳市)を開設。東京芝二本榎(東京都港区)の承教寺に小教院を設立。谷山ヶ丘(現在の品川キャンパス所在地)に日蓮宗大学林を設立。日蓮宗大学林を日蓮宗大学と改称。日蓮宗大学林を立正大学専門部と改称。文学部に地理学科設置。学校教育法により新制大学となる。仏教学部・文学部設置。経済学部、短期大学部設置。私立学校法により財団法人立正大学から学校法人立正大学学園となる。大学院文学研究科設置。立正大学専門部廃止。熊谷キャンパス開設。経営学部設置。法学部設置。大崎キャンパス再開発着工。大学院経済学研究科設置。立正大学は、鎌倉時代に活躍した日蓮聖人が著された『立正安国論 』の教えに基づく、立正精神を建学の精神としています。立正精神とは、正しきを立て、人々の安穏と社会の恒久平和の実現を願うものです。日蓮聖人は、立正精神を実践して社会に貢献するために、著書『開目抄』において自らが「日本の柱」「日本の眼目」「日本の大船」になるという三つの誓いを立てられました。その立正精神を第16 代学長の石橋湛山が現代風に言い換えたものが、立正大学の建学の精神として受け継がれています。146 ARCH 2026石橋 湛山第 55代内閣総理大臣第16代学長 「日本のケインズ」と称された石橋湛山は、1952 ~ 68 年の長期にわたり立正大学長を務め、法華経の精神と学問の実践とを一体化する生き方を説き、建学の精神をよりわかりやすく具現化しました。また、立正大学の総合大学化に取り組み、当時開設されたばかりだった経済学部の強化を図りました。石橋湛山は生涯にわたり自由主義と民主主義に立ち、ジャーナリストとしても絶えず時代をリードする健筆をふるってきました。政治家としては 1956(昭和 31)年に第 55 代内閣総理大臣に就任し、日中・日ソ相互の国交回復のために自ら先頭に立ち、熱心に行動しました。日本の外交史上のみならず、世界平和のために大きな功績を残しました。 1872[ 明治5]年1904[ 明治37]年1907[ 明治40]年1925[ 大正 14]年1947[ 昭和 22]年1949[ 昭和 24]年1950[ 昭和 25]年1951[ 昭和 26]年1981[ 昭和 56]年1986[ 昭和 61]年1988[ 昭和 63]年1952[昭和27]年 石橋 湛山 第16代学長に就任。1967[ 昭和 42]年一、真実を求め至誠を捧げよう一、 正義を尊び 邪悪を除こう一、 和平を願い人類に尽そう445年の歴史と伝統建学の精神11 99 44 77 〜〜11 5 85 8 00 〜〜立正大学の伝統と精神
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