立教大学 CAMPUS GUIDE 2024
39/188

039沿革はP.181 立教大学の歴史は、米国聖公会の宣教師チャニング・ムーア・ウィリアムズが1874年に創立した「立教学校」から始まります。キリスト教が厳しく弾圧されていた時代に聖書と英学を教える私塾を開くのは、計り知れない苦闘があったことでしょう。それでもウィリアムズは教え伝えること自体が自分の使命だと確信し、需要のない中でも教育を行う道を選択しました。150年に及ぼうとする時を経た現在においても、その姿勢は失われていません。立教大学は世間のニーズに応える形で教育を展開するのではなく、「普遍的真理を探究し、この世界や社会のために働く者を生み育てる」というミッションのもと、人類が築き上げてきた知の体系とそれらを社会に還元していく力を持つ人を育む場として存在しているのです。 本学の教育方針の基軸であるリベラルアーツは、単なる教養教育などではありません。人類が長い歴史の中で探究してきたいまだ到達し得ない理想――それを追い続けることの価値を提示する、いわば「夢を語り、ビジョンを抱かせる」教育です。西洋の伝統を受け継いだ、本物のリベラルアーツ教育の実践のためには、立教大学はある意味で「危険な場」になる必要があると考えています。批判すること・されることを恐れず、真理とは何かを問い続ける。常識や定説、権威を疑い、相対化させる。オリジナルの現象や原文にあたり確かめる。時には自らの考えが真っ向から否定されることもあるかもしれません。しかし臆せずに自己を再構築し、世界を読立教大学の建学の精神を表している言葉が「Pro Deo et Patria」です。「神と国のために」というラテン語で、立教大学では、「普遍的なる真理を探究し、私たちの世界、社会、隣人のために」と捉えています。立教大学のオフィシャル・シンボル、■のマークには、「立」の文字、十字架と開かれた聖書が描かれており、中心に置かれた聖書の言葉が「Pro Deo et Patria」です。■の下にある「MDCCCLXXIV」は創立年の1874をローマ数字で記しています。紫紺地に白色の十字架と左肩に金色の「立」が描かれています。紫色は、校歌の「紫匂える武蔵野原」の武蔵野の代表的植物「ムラサキ」にも由来するほか、王者の色でもあります。白は純潔・正義を象徴し、十字架はイエス・キリストとその愛を、「立」の金色は研究・教育を通じて追究すべき真の価値を象徴しています。み解き変化をもたらす力を育んでほしいと思います。  立教大学は今後、自身のルーツといま一度向き合い、建学の精神や教育理念が反映された特色ある取り組みの強化を図ります。導入期教育の充実化、リーダーシップ教育、グローバル教育、データサイエンス教育の全学展開、サービスラーニングをはじめとする社会連携教育の活性化などを柱に改革を進め、真理を味わう場としての環境を整えたいと考えています。 この数年間の新型コロナウイルス感染症の流行やウクライナにおける武力行使は、人々の心に影を落としました。このような状況下だからこそ、大きな困難の中にある世界を顧み、未来に思いを馳せてください。学生のみなさんが、立教大学での学びをとおして新たな世界を構想できる人になることを心から願っています。NISHIHARA RENTA文学部教授。2021年4月、立教大学第22代総長に就任。専門はアングリカニズム、エキュメニズム、組織神学、現代神学。建学の精神とオフィシャル・シンボル校旗創立者ウィリアムズ主教 (チャニング・ムーア・ウィリアムズ)1829年7月18日、アメリカ合衆国ヴァージニア州リッチモンド市で生まれる。ヴァージニア神学校を卒業後中国派遣宣教師に任命され、1856年6月に上海に到着。1859年日本に派遣され、同年6月に長崎に到着。幕府のキリスト教禁教政策の中、宣教に努める。1866年に一時帰国した後、中国および日本伝道主教となり中国と日本の新拠点として武昌と大阪を開拓。1874年2月に築地に立教大学の前身となる私塾を開く。1889年、後進に道をゆずるべく主教職を辞任。1895年京都に移り関西地方の宣教に生涯最後の力を注ぐ。1910年12月2日、故郷リッチモンド市で生涯を終える。享年81(歳)。

元のページ  ../index.html#39

このブックを見る