武蔵大学 GUIDEBOOK 2026
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002002武蔵大学の歩み武蔵大学の歩み 創立者創立者根津 嘉一郎(初代)根津 嘉一郎(初代)1922(大正11)年 4月1922(大正11)年 4月武蔵大学のルーツであ武蔵大学のルーツである、わ が 国 初 の 私 立 七る、わ が 国 初 の 私 立 七年制の旧制武蔵高等学年制の旧制武蔵高等学校開設。校開設。1948(昭和23)年 4月1948(昭和23)年 4月学制改革により新制武学制改革により新制武蔵高等学校開設。蔵高等学校開設。1949(昭和24)年 4月1949(昭和24)年 4月新 制 武 蔵 大 学(経 済 学新 制 武 蔵 大 学(経 済 学部経済学科)開設、新制部経済学科)開設、新制武蔵中学校開設。武蔵中学校開設。1950(昭和25)年 11月1950(昭和25)年 11月四大学(武蔵、学習院、成四大学(武蔵、学習院、成蹊、成城)対抗運動競技蹊、成城)対抗運動競技大会始まる。大会始まる。1959(昭和34)年 4月1959(昭和34)年 4月経済学部に経営学科を経済学部に経営学科を増設。増設。1950年代のゼミ風景。1950年代のゼミ風景。創立当初から、1年次よ創立当初から、1年次より必修であったり必修であった武蔵大学のルーツである旧制武蔵高等学校は「人間形成を根幹に、明日の新武蔵大学のルーツである旧制武蔵高等学校は「人間形成を根幹に、明日の新しい日本を担う、優れた人材を育てる」という理想のもと創立されました。学園しい日本を担う、優れた人材を育てる」という理想のもと創立されました。学園創立時に掲げられた「建学の三理想」は今も受け継がれ、激しく揺れ動く社会創立時に掲げられた「建学の三理想」は今も受け継がれ、激しく揺れ動く社会環境のなかでも、褪せない価値を持ち続けています。環境のなかでも、褪せない価値を持ち続けています。り「鉄道王」とも呼ば れた実業家です。渋沢栄り「鉄道王」とも呼ば れた実業家です。渋沢栄「国家の繁栄は育英の道に淵源する」という信「国家の繁栄は育英の道に淵源する」という信家・茶人としても知られ、没後は根津の私邸を家・茶人としても知られ、没後は根津の私邸を根津嘉一郎(初代)は、多くの鉄道事業に携わ根津嘉一郎(初代)は、多くの鉄道事業に携わ一率いる渡米実業団への参加をきっかけに、一率いる渡米実業団への参加をきっかけに、念のもと、旧制武蔵高等学校の創立など教育・念のもと、旧制武蔵高等学校の創立など教育・文化事業にも情熱を傾けました。古美術愛好文化事業にも情熱を傾けました。古美術愛好利用した「根津美術館」(東京都港区南青山)が利用した「根津美術館」(東京都港区南青山)が設立されました。設立されました。❶ 東西文化融合のわが民族理想を遂行し得べき人物❶ 東西文化融合のわが民族理想を遂行し得べき人物❷ 世界に雄飛するにたえる人物❷ 世界に雄飛するにたえる人物❸ 自ら調べ自ら考える力ある人物❸ 自ら調べ自ら考える力ある人物グローバル化、ボーダーレス化が進むとともに、地球規模のグローバル化、ボーダーレス化が進むとともに、地球規模の多くの課題に直面している現代。これからは多様な人々と協多くの課題に直面している現代。これからは多様な人々と協働するなかで、専門性を活かしながら主体的に行動できる人働するなかで、専門性を活かしながら主体的に行動できる人物こそが真のリーダーとなるだろう。物こそが真のリーダーとなるだろう。武蔵大学は学園創立時に掲げた「建学の三理想」に根差し、武蔵大学は学園創立時に掲げた「建学の三理想」に根差し、世界の未来を見据えて少人数のゼミ、リベラルアーツ&サイ世界の未来を見据えて少人数のゼミ、リベラルアーツ&サイエンス教育、そしてグローバル教育を進化させてきた。エンス教育、そしてグローバル教育を進化させてきた。これらの教育にさらに磨きをかけ、総合知・専門知・他者と協これらの教育にさらに磨きをかけ、総合知・専門知・他者と協働する力・実践力をバランスよく身につけることで、課題解決働する力・実践力をバランスよく身につけることで、課題解決に貢献する新しいグローバルリーダーの養成をめざす。に貢献する新しいグローバルリーダーの養成をめざす。建学の三理想建学の三理想1922 年1922 年1940 年代1940 年代1950 年代1950 年代ゼミを根 幹にゼミを根 幹に伝 統の教 育を進 化させ、伝 統の教 育を進 化させ、グローバルリーダーを育む。グローバルリーダーを育む。

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