問1問2問3問4問5問1問2問3問4問5問1問2問3 をAカイして、人と人の共同性のみならず、人と自然の共同性をも教えたはずである。身体の昼間部以下の文を読み、それぞれの問いに答えなさい。 身体の問題というと、人はまず自分の身体を眺める。手を見、腕を見、さらには我が身を鏡に映しだしてみる。つまり、身体というと、人はまず個人の身体を思い浮かべるのだ。そしてたいていは、どこかしら恥ずかしくなって、肩をすくめる。身体は個人に属すのであって、集団に属すわけではないというわけだ。だが、ほんとうはそうではない。1シグサや表情にしてもそうだが、共同体の基盤は身体にあると言っていいほどなのである。 日常生活の随所にその証拠がころがっている。たとえば、人はなぜスポーツを観戦するのか。勝敗の行方を見極めたいと思うからか。そうではない。人の身体の動きに a してみたいのである。相撲で、ひとりの力士が土俵を割りそうになりながら残すとき、見るものも同じように反り身になって相手の回しを握り締めているのである。だからこそ、手に汗握るのだ。つまり、スポーツを見るものは、そのスポーツを一緒に戦っているのである。野球にしてもそうだ。投球が決まった一瞬、まるで指揮者に操られたように、会場の全体がどよめく。投手や打者の呼吸に、全観衆の呼吸が体なのだ。想像力といえば、意識の問題と考えられがちだが、そうではない。それはまず身体の問題なのだ。身体がまず他人の身体になりきるのである。その運動、その緊張、その痛みを分け持ってしまう。想像力の基盤は身体にあるとさえ言いたいほどである。模倣もまた身体の想像力のひとつと考えるといい。人は、歩き方、走り方、泳ぎ方を習うが、教科書によってではない。身体をAカイして習うのである。実際、子供は、教えるよりも先に真似ている。身体の想像力は、意識の想像力を上回る。稽古事の経験者ならば誰でも思いあたるだろうが、言葉による注意は、身体の想像力のきっかけにすぎない。舞踊に関心を持つようになってはじめて、以上の事実に気づいた。人はなぜダンスを見るのか。何よりもまず身体そのものが、他人の身体ととき、人は、ダンサーとともに踊っているのである。回転し、跳躍しているのである。だからこそ、見終えた後に、快い疲労を覚えるのだ。また、だからこそ、より美しく舞うもの、より華やかに踊るものに惹かれるのである。スポーツにしても同じだ。人は、より強い、より速い、より美しいフォームに惹かれる。身体の想像力の限界を試そうとでもするように、人は舞台を見る。試合を見る。見ているのは目ではない。身体なのだ。そういえば、昔はよく、尊敬する人物の肖像や彫像を2机上に飾ったものだ。なぜか。見ることが、全身的な行為であると信じられていたからである。意識の想像力以上に、身体の想像力が重要であることが、直観的に把握されていたからだ。人物だけではない。たとえば雄大な光景は人を雄大にする。人は全身で見るのであり、見た瞬間、何よりもまず身体がその光景にこのように考えると、なぜ舞踊と遊戯が神事として誕生したかが分かってくる。舞踊と遊戯、すなわちダンスとスポーツは、おそらくその3キゲンをひとつにしている。いずれも、身体をAカイして、人間が集団を成していること、共同体を形づくっていることを確認する行為にほかならなかったのである。神前で舞うとき、共同体の成員もまたともに舞うのだ。相撲にしてもそうだ。観客もまた力を尽くして戦うのである。たとえば綱引きのような遊戯は、身体のこのような共同性をそのまま象徴していると言っていい。しかも舞踊や遊戯は、身体想像力は、人と動物、人と自然の境界をも、やすやすと越えたはずだからだ。近代になって、意識と身体は画然と分けられた。同時に、4ゴカンとその領域も鋭く分割された。視覚の領域には美術が、聴覚の領域には音楽が配分された。そのいずれにもかかわる舞踊や演劇は、いささか曖昧な芸術として5蔑まれた。身体の領域はただ健康の問題、医学の問題へと差し回されたのである。そして、ひたすら健康の技術にかかわるものとして、保健体育の思想が登場したのだった。だが、いまや近代の全体が問い直されているのである。美術も音楽も、いや文学さえもが、じつは全身的な感受の対象であることが明らかになりつつある。たとえば文体は、呼吸を通して全身にかかわるのである。芸術の鑑賞は、いまやB身体の想像力を抜きに語ることはできない。いわんや舞台芸術の鑑賞、スポーツの観戦にいたっては、まさに身体の問題にほかならないのである。問題一般入試A日程しようとするのだ。 d b c しているからである。それが人間の身したいからなのだ。舞台を見る(三浦雅士『考える身体』より)解答用紙出題意図一般教養の試験では例年、長文問題、時事・常識問題、形の理解に関する問題を出題しています。いずれも〈桑沢〉で学ぼうとする人にぜひ知っておいてほしいことや、普段から関心を持っていてほしいこと、〈桑沢〉で磨くべき能力が何なのかが明確にわかるように心がけて問題を作成しています。まず長文問題で求められているのは、日本語の文章の意味を読んで理解するという、これからの学校生活や仕事に欠かせない能力です。今年は、「身体性」をテーマとしたエッセイをとりあげました。著者は、スポーツ観戦での他者の身体への「同調」などを例に、他者や環境を理解する際の手がかりを意識ではなく身体に求める視点を提示しています。多様性への理解が課題となっている現代において、多様性と切り離せない身体の問題を視野に入れておくこともデザイナーにとって重要なことです。時事・常識問題では例年ことばの運用をはじめとして政治や科学技術、文化史などについて、基本的な知識や教養の有無を確かめる問題を出しています。今年は日本語の対義語や国際機関などの英語での略称、近年話題になったデザインや建築、アート、サブカルチャーにかかわるキーワード、国内外のニュースで扱われた出来事などをとりあげました。図形を操作し空間を把握・認識する能力がデザイナーに欠かせないものと考えて、形の理解についても出題を続けています。一般教養円柱イ円柱ウ Ⅰ CABEDF12345123451234512345123451123452345300301
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