法政大学 GUIDEBOOK 2025
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東京法学社(講法局・代言局)設立。在野の法律家・金丸鉄と伊藤修らによって東京駿河台に創られた。明治  1880年1881年1883年1886年1889年1903年1949年1947年昭和 1944年1922年1921年1920年大正 1915年1904年東京法学校と東京仏学校とが合併して、和仏法律学校と改称。箕作麟祥博士が校長となり、自由・清新な学風を発展させた。専門学校令により法政大学と改称し、予科、大学部、専門部、高等研究科を設置。初代総理(現在の総長)に梅謙次郎博士が就任。野球部創部。1917年より四大学リーグに加入。1925年には、東京六大学野球連盟が誕生。1930年秋の東京六大学野球リーグ初優勝以来、名門クラブとして日本球界に貢献している。 大学令により初めて私立大学の設置が許可され、財団法人法政大学となる。法学部、経済学部を設置。ほかに大学予科、専門部および各学部研究科を擁する有数の私立大学となる。法文学部が法学部、文学部に改編され、経済学部と合わせて3学部となる。7月に通信教育部を設置。法学部に文学科、哲学科を新設して法文学部となる。工学部の前身、法政大学設立航空工業専門学校を設置。麹町区富士見町4丁目(現在の市ケ谷キャンパス)に校舎を新築し移転。学校教育法により新制大学として発足。清国留学生法政速成科を設置。日仏協会の前身である仏学会によって東京仏学校設立。政府の法律顧問としてフランスから招かれていたボアソナード博士が教頭に就任。東京法学社の講法局を独立させ、東京法学校となる。(主幹 □埵正邦)変化を恐れず、常に挑戦し続ける。法政大学の学風自由と進歩法政大学校歌スクールカラーブランドマーク校章0051880年。自由を求める気運が高まるこの時代に、若者たちの力によって法政大学は誕生しました。そこから3つの世紀にわたり、「自由と進歩」の学風を受け継ぎ、幾多の人材を輩出。変化を恐れず、常に挑戦し続ける──。いつの時代も歴史と伝統に甘えることなく、新たな改革に挑み続けます。一、法政大学のスクールカラーは、オレンジと紺(法政ブルー)です。古い応援歌の歌詞によると、2つの色は「暁(あかつき)の太陽」と「青空」を表しています。法政ブルーの色合いは、紫より濃い青紫です。作詞 佐藤春夫 作曲 近衛秀麿若きわれらが命のかぎりここに捧げて(ああ)愛する母校見はるかす窓(の)富士が峯の雪蛍集めむ門の外濠よき師よき友つどひ結べり法政 おお わが母校法政 おお わが母校2013年に策定されたブランドマーク。さまざまな方面でエネルギッシュに躍動する法政大学の姿を、Hの文字でシンボリックに表現。常に挑戦を続ける行動力とそれによってもたらされる可能性や柔軟性、その広がりをデザインしています。二、若きわれらが命のかぎりここに捧げて(ああ)愛する母校われひと共にみとめたらずや進取の気象質実の風青年日本の代表者法政 おお わが母校法政 おお わが母校現在の校章は、1930年に制定されたもので、予科の山崎静太郎教授(楽堂と号して能楽の研究家・批評家でもあった)の考案です。大学の二字を亀の子型に図案したもので、長い伝統と永遠の真理を表しています。

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