法政大学 GUIDEBOOK 2024
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0061950年、総長に就任した大内兵衞は、第二次世界大戦で焼失した校舎の復興に乗り出し、53年館(現在のボアソナード・タワー)・55年館・58年館を建設。戦後の本学の飛躍的発展に大きな貢献を果たしました。この発展期を支えた大内が指針として与えた言葉として、「独立自由な人格」を作ること(つまり「自由」)、「空理を語らず、日本人の社会生活向上発展のために、たとえ一石一木でも必ず加えるような有用の人物」を作ること(つまり「進歩」)が残されています。東京法学社が設立された1880年は、日本近代法典の先駆けである刑法と治罪法が公布された年。金丸鉄、伊藤修、■埵正邦ら若き法律家によって誕生した東京法学社は、自由民権運動が全国的に高揚を見せ、近代法制度の整備が進む当時の日本の新気運に呼応したものでした。東京法学社は、法律を講じる「講法局」と弁護の実務訓練を行う「代言局」を擁し、今日に受け継がれている実務教育すなわちキャリア教育の精神は、本学建学当初から築かれていました。政府の法律顧問としてフランスから来日したボアソナード博士は1883年、東京法学校の教頭に就任。以後10年間、無報酬で門弟の教育に情熱を注ぎ、本学の基礎固めに重要な役割を果たしました。ボアソナード博士により培われたフランス自然法的な近代法の基本理念は、本学の「自由と進歩」の学風を創り上げる基盤となりました。1903年、初代総理(現在の総長)に就任したのが、日本の「民法の父」といわれる梅謙次郎博士でした。博士は中国人留学生を対象とした「法政速成科」や英・独・仏の語学教育のための「語学科」を開設するなど世界的視野で多角的な教育改革を推進。この“開かれた教育”の精神もまた今日の本学に受け継がれています。富士見ゲート1階の学生ホール入口に掲げられた「論語 学而編」の一節「有朋自遠方来不亦楽乎」―朋あり遠方より来る、また楽しからずや―は、大内兵衞元総長の筆を再現したもの。

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